スピ☆ヲタ子ちゃん(3)

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伊藤三巳華先生の「スピ☆ヲタ子ちゃん」が完結しました。
最終巻でもある3巻の帯に「怒涛の新展開!」とあるのですが、まさにそのとおり、非常に驚きの展開でした。

ちょっと昔話になるのですが、私が三巳華先生を最初に見たのは深夜のTV番組でした。
激務で深夜帰宅が続く中、音がなにもないと不安でなんとなくつけたテレビ。そこには、まだ若いかわいい女子が、描いた絵を売ったお金だけでヒッチハイクで移動するという、今なら警察沙汰まちがいなしの番組が展開されていました。
お金がなければ本当に野宿で、「この番組正気かな?」と思ったせいで長く記憶に残りました。
その「若くて可愛い女子(キヨリン)」が、後の伊藤三巳華先生でした。

「伊藤三巳華」という作家さんとして認識したのは、そこからさらに数年以上経ってからです。
当時勤務していたウェブメディアで「怪談」という枠を作り、かなりの数を無料で読めるようにしていた企画があったのです。
部署は全く違うのですが、その企画の担当さんとは席が近く、一緒に仕事をしたこともあったため、気軽に話す仲でした。
元々怪談好きだったので、しょっちゅう「いいなあ! すごいなあ!」と騒いでいたら、余っているからと大量に企画関連の本を譲ってくれたのです。
その中に「幽」があり、「視えるんです」の単行本がありました。
「かわいい絵でずいぶん怖い話を描くなあ」というのが第一印象で、この時はまだヒッチハイクとは繋がりませんでした。

この頃、ウェブメディアの会議室から動画配信もしていらしたのですが、エレベーターで一緒に乗り合わせたことがあります。ただ乗り合わせただけなので何事もありませんでしたw
お客様と社員なわけで、いきなり声をかけるわけにもいきませんでしたしね。

その後、主に出版社側に紆余曲折あって、最終的にはHONKOWAというホラーマンガ雑誌で連載がはじまり、看板作家さんのひとりに数えられるようになり、そして今回の「スピ☆ヲタ子ちゃん」につながります。

ご自身の子どもの頃の話は「視えるんです」でも断片的に語られてきましたが、思春期から社会人になるあたりの話はいままでぽっかり抜け落ちていました。
「スピ☆ヲタ子ちゃん」のシリーズはちょうどその、今まで語られなかった時期にあたるわけですが、今回の3巻を読んで、なるほどうっかり描けないわ…と思いました。
それほどとんでもないエピソードが語られています。

サイン会でお会いする先生は、心広くて鷹揚な感じで、とても落ち着いて見えるのですが、実は私、その心の広さが気になってたのです。
説明が難しいのですが「とんでもない闇を経験した人の鷹揚さ」に見えて。
あながち間違ってませんでした。

作中で何度か「何でこんな罪悪感のわかない子になったんだろう」っていう言葉が出てきますが、一番心の安定や睡眠が必要だった時期にあの状態なら、そらグレたってしょうがないんでは…。
ホラー漫画という体裁こそ崩れていないものの、かなり壮絶な自伝になっているなあ、と感じました。