小野不由美さんが大好きだ。
元々は講談社のホワイトハート文庫で「十二国記」を読み始めて嵌り、屍鬼で慄き…。そして十二国記の新刊がなかなか出なくて切ない思いをしていた頃、「幽」という怪談雑誌で連載していることを知った。
本書は、その「幽」での連載をまとめたものである。
「怪異譚」というタイトルが示す通り、怪談である。一話完結で、主人公と思しき語り手も毎回違う。古都で、それぞれに、恐ろしい怪異に遭遇する。
初めは小さかった怪異が破たん寸前まで拡大し、おびえ、困惑しきった語り手たちに、ある時は人づてで、ある時は偶然(?)に救いの手が差し伸べられる。
で、どこがどうしてシリーズなのかと思うだろう。この話をシリーズとして成立させているのは、なんと、脇役っぽくすいっと出て来る「営繕かるかや」という、営繕屋(建物の軽めの修理屋)だ。
怪異を解消するのは、霊能者でも憑き物払いでも拝み屋でもない、ごく普通の営繕屋なのである。
怪異専門というわけでもなく、本当に普通の営繕屋で、「そういうのに詳しい」という噂が業界に広がっているために、様々な依頼が持ち込まれる、ということらしい。
小野不由美の作品は、精緻な建築を思い起こさせる。文章もアイデアも、内容もすばらしいのだが、読後にアーキテクチャ、という単語が脳内に浮かぶほど、細部まで計算されて書かれている…気がする。
この話も、そういう計算が生きている。
怪異なのに、そこには明らかに論理がある。最近ならロジック、といった方がいいだろうか。数学の計算式にも似た何らかのルールがある。
ただし、それは解決してからなるほど、と思うのであって、途中はただただ恐ろしい。事実、営繕屋以外の関係者は、すべて恐れ、忌避し、困惑する。
営繕屋だけが飄々と警告し、説明し、造作して、怪異が関わって来ないようにする。そう、怪異を「消す」のではなく、「関わって来ないように」するのだ。
怪異が消えていないのに、語り手が救われるというのは珍しいと思う。営繕屋は、その珍しい状況を淡々と増やしていく。なぜその作業で怪異が収まるのか、造作(修理)を提案しながら淡々と説明していくが、そこにオカルト要素は少ない。
ある時は死霊がまだ生きている人であるかのように、ある時は「そういう性質のもの」と無機物か珍しい生き物の話をするかのように。
とにかく「怖い話」を求める方には合わないと思うが、小説としても非常に高度な本作、小野不由美ファンならずとも非常にオススメである。
そうそう、表紙は「蟲師」でおなじみの漆原友紀さんのイラスト。細かい仕掛けも雰囲気も内容によく合っていて、これもまた秀逸。
文庫でも十分面白いけど、余裕があれば、単行本の購入をおすすめする。